「福田家の調理場から」と題し、毎回さまざまな食材にスポットを当てて参りましたが、今回は食材ではなく器のお話をさせていただきたいと思います。
大正時代から続く江戸切子の技術と精神を継承し、東京都江戸川区を拠点に、今の時代にふさわしい江戸切子を製作している「堀口切子」の堀口徹さん。品質の高さとクリエイティビティあふれる斬新なデザインに定評があり、2012年には国の伝統工芸士(江戸切子)に認定されています。名だたる日本料理の名店からも器作りを依頼されるなど、料理の業界でも注目されている一人です。
堀口さんの祖父・堀口市雄さんはわずか10歳のときに叔父にあたる江戸切子技術伝承者・小林菊一郎さんに弟子入りし、1947年に江戸切子(カットガラス)の工房を設立、後に「堀口硝子」を創業しました。1976年生まれの堀口徹さんは1999年に「堀口硝子」へ入社後、2008年に自身の会社「堀口切子」を創業。現在は3人のお弟子さんを育てながら自身の作品や製品作りに励んでいます。
彼が作り出す江戸切子の器は、見た目の美しさはもちろんのこと、伝統工芸文化を先人たちから受け継ぎ、次世代へつなげていくのだという強い思いが込められているところが大きな魅力だと感じています。また福田家とは不思議な縁でつながっていることもあり、私にとっても特別な存在です。
不思議な縁――と申し上げましたのは、実は堀口君と私は小学校の同級生だったのです。中学校からは別々でしたが、同窓会をきっかけにおよそ35年ぶりに再会し、堀口君が江戸切子の職人として素晴らしい活躍をしていることを知りました。そしてその後しばらくしてからのこと。福田家の大切な器を保管している倉庫から「秀石」による作品が見つかったのです。
「秀石」とは、大正10(1921)年に堀口君のお祖父様が江戸切子作家として名乗った号でした。それを二代目の須田富雄さんが継ぎ、二代目に師事していた堀口君が平成20年に「三代秀石」となりました。福田家で見つかった秀石の器をさっそく堀口君に見てもらうと、これは「二代目秀石」の手によるものだとわかりました。おそらく二代目の福田彰の時代に購入をしていたのでしょう。偶然ながらも、嬉しい繋がりを感じました。
この不思議な縁を発端に、私の代でも何か取り組みをしたいと考えました。そこで料理業界の経営者が全国から集まる料理業研鑽の会に合わせ、堀口君におよそ200個の蕎麦猪口を作ってもらったのです。桐箱に入った200個の輝く江戸切子の美しさは壮観でしたし、会の参加者にも大いに喜んでいただくことができました。
今回「堀口切子」の制作現場を見学しながら堀口君自身の言葉で江戸切子作りにかける思いを聞くことができ、その熱い思いから大いに刺激を受けました。素晴らしい「ものづくり」をされていることはもちろん、仕事に向かう姿勢や仕事場の環境づくり、江戸切子の未来を見据えた後継者の育て方など、あらゆる部分にこだわりを感じました。
「相当、こだわっているよね」と彼に伝えると、「こだわっていない江戸切子職人なんて嫌でしょう」との返事。好きでやっている仕事だからこそ、好きなものに囲まれ、好きな要素を取り入れ、自分のこだわりを貫いて働く――その姿勢に、こちらも身の引き締まる思いがいたしました。
日本が世界に誇る伝統工芸・江戸切子ですが、まだまだその魅力を知る人は少ないといいます。一人でも多くの方に魅力を知って楽しんでいただくために、そして素晴らしい江戸切子文化を未来に残すために、微力ではありますが私たちも貢献できれば幸いです。
「堀口切子」三代秀石・堀口徹さんより
「堀口切子の器を福田家さんに収めているんだよ」というのは私の自慢話のひとつなんです。福田家さんのお客さまに堀口切子の器を楽しんでいただけることを本当に嬉しく、ありがたく感じています。
昔から知る福田君の良さは、朗らかでおおらかで、誰からも愛される人柄。その人徳を活かしながら、今の福田家を任されている者として自信を持って店を引っ張っていってほしいと期待しています。福田家さんという店には、現在に至る歴史の中にいろんなストーリーがあり、今につながるたくさんの「背景」が隠れていると思うのです。新しい店が新しい見せ方をするのは、ある意味当たり前のこと。けれども福田家のように伝統がありしっかりとした土台を持つ店が、昔から受け継ぐものがありながらも今の時代に沿った新しい見せ方で展開していけたら、それは圧倒的なものになるのではないでしょうか。福田家のこれからを心から応援していますし、自分もそのお供をしていけたらと思っています。